石鎚村の生い立ち

山中に点在する民家(黒川集落・昭和59年撮影)

 石鎚村は、天正十三年豊臣秀吉の四国征伐の際、追跡を逃れて現在の「成籔」集落の上にある「池の窪」という山のなだらかな尾根へ逃げた一族が小部落を作ったのが始まりと言われています。
 ここは、敵が迫ってきても四方に逃げられる地形で敵の攻撃をさけるのには好都合な場所でした。
 しかし、高い山の峰で飲料水が不足し、作物もできない不便なところでしたので、飲料水確保のため峰の窪地に池を堀り雨水を蓄えて飲料水としていました。
 窪地に池を作って生活の糧としたので、この地を「池の窪」と名付けました。
 その後、敵の追跡がなくなると、山の上での生活は不便なため、水が豊富で作物ができるところへ下って集落を移したのが「成藪」集落と言われています。
 その後、人口が増えたため、険しい山間にかかわらず平地で作物のよくできる「大平」集落へ、そして生活必需品を求めて小松町への道をつけた途中に開けた「折掛」集落へと開けていったようです。
 明治時代、石鎚村には15の集落があったと言われています。
 石鎚村は昭和26年8月までは、千足山村と呼ばれていました。
 昭和30年4月25日に、石鎚村・石根村・小松町が合併し小松町となり、石鎚村は消滅しました。
 平成16年11月、小松町・丹原町・東予市・西条市が合併し新西条市となり、現在に至っています。

 【人口の推移】

 明治21年  1,307人
 
昭和30年  1,189人
 昭和33年    977人
 昭和35年    898人
 昭和45年    329人
 昭和55年     44人
 昭和62年     27人
 平成 2年     13人
 平成 7人     11人
 平成19年      2人
 
※平成19年の人口は湯浪集落を除く。
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