加茂の風景(映像編)

 ◎荒川八幡神社地方祭
荒川の獅子舞(昭和59年10月10日) 

36年前の荒川八幡神社地方祭。この頃は10月10日にお祭りをしていた。この年は朝大雨が降って「総かぐら」でのお祭りとなった。祭祀が終わり八幡神社で飲み会をしてだいぶできあがった頃に雨があがった。そのため、神社にて獅子を舞ったのち、加茂公民館でも獅子舞を行った。みんなとても若い。旧加茂公民館での獅子舞がとてもなつかしい。
荒川八幡神社地方祭①(昭和58年10月10日) 

(上側)37年前の荒川八幡神社地方祭。昭和58年は神輿を新調した年で、その記念にと氏子の家を一軒一軒かついでまわった。毎年恒例のOBによる獅子舞も盛り上がった。また、河ケ平の御神燈ではお神楽がまわれていた時代だった。このお神楽はこののち数年で舞われなくなった。

(下側)河ケ平での獅子舞。この頃の獅子舞は国道で行っていたが、交通量の多い今から考えるととても危なっかしい。獅子はかなり激しく舞っているが、無駄な動きが多い。どうやら若かりし頃の私が舞っているらしい。
荒川八幡神社地方祭(昭和57年10月10日)

38年前の荒川八幡神社地方祭。古い神輿が映っている。宮出しの際に担棒が折れ、宮入の際に神輿をひっくり返すというハプニングもあった。この年には老朽化していた八幡神社の拝殿を建て替えた。今はもうなくなってしまったが、荒川下分の「青年くらぶ(集会所)」が映っている。宮入後は、この「青年くらぶ」前での獅子舞が恒例であった。
荒川八幡神社地方祭(昭和52年10月8日) ※映像のみ

43年前、この頃は10月8日にお祭りが行われていた。当時は、荒川地区にもたくさんの人が住んでいた。山崎神社での獅子舞は、近くの民家の庭先で舞っていた。そして、拡張される前の国道を通って河ケ平御神燈へ移動。御神燈の「ちょうちん」と「のぼり」がなつかしい。神輿は、全行程担いで移動していた。河ケ平からは、荒川橋を渡り細い山道を八幡神社まで担ぎ上げた。ものすごいパワーだ。
荒川八幡神社地方祭(昭和51年10月8日)

44年前の地方祭。神輿の運行を中心に撮影している。山崎神社ではOBの獅子舞に獅子が2頭登場した。映っている人は今でもお祭りに顔を出している人が多いが、みんなとても若い。この当時は、河ケ平の御神燈で獅子舞をしていた。(あとで音声をつけているため画像とずれているところがあります。)
◎風景映像
河ケ平上集落(昭和51年)

国道194号線の拡張工事が行われる前の河ケ平上集落。加茂小学校は建築されて3年目、加茂郵便局はまだ建築されていない。この当時の加茂地区には、約800人の人が住んでいた。
下津池・風透集落(昭和51年)

当時の下津池・風透集落は、耕作放棄地がほとんどなく一面の棚田が広がっていた。国道の拡張工事はまだ始まっていない。下津池小学校は、閉校になって3年目、校舎の上側には職員住宅が見える。
拡張工事中の国道194号(昭和51年)

国道の拡張工事が進む河ケ平上・下集落を撮影。対向車が来るとすれ違いに苦労していた国道は、この工事によって歩道付の2車線の国道に生まれ変わった。当時の河ケ平下集落には一面の棚田が広がっていた。
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