荒川の獅子舞と崎戸獅子舞、そして「五反田唐獅子」

荒川の獅子舞
荒川の獅子舞
崎戸獅子舞
崎戸獅子舞

五反田唐獅子
※このページは、荒川の獅子舞と崎戸獅子舞を比較したページに、八幡浜市の五反田唐獅子を加えて作成しました。

 平成13年、長崎県崎戸町(当時)在住のSさんからいただいたメールがすべての始まりでした。
 「荒川の獅子舞のリズムが崎戸の獅子舞のリズムにそっくりだ。」

 その4年後、偶然にも崎戸町出身で東京在住のワキさんから、
「愛知県で崎戸の獅子舞を実演するので見に来ませんか。」というメールをいただき、名古屋市まで「崎戸獅子舞」を見に行ってきました。
 実際に見て・・・崎戸の獅子舞は、やはり荒川の獅子舞に通じるところがありました。舞いの中に、私たちの獅子舞と似ているところが随所にあり親近感がわくと同時に、感動の旅となりました。

 西条市と長崎県西海市(旧崎戸町)、
直線距離で400キロも離れている地域の獅子舞がこれほど似ているのはなぜか?ここから荒川の獅子舞のルーツ探しに興味がわいてきました。

 崎戸獅子舞の実演を見てから4年半後がたった平成22年の冬、八幡浜の五反田唐獅子保存会のHさんから「今度、松山で八幡浜の五反田唐獅子を演じるので見に来ませんか?」というメールをいただきました。

 八幡浜の獅子舞には以前から興味があったので見に行くことにしました。その実演をみた瞬間どこかで見たことがある・・・その獅子舞は崎戸の獅子舞にとてもよく似ていました。

 長崎県西海市と八幡浜市はどちらも海に面した港町です。崎戸町は、石炭が発見されてからは炭鉱の町として栄え、昔から愛媛県との交流があったようです。崎戸の獅子舞は四国が発祥の地と云われており、明治時代に瀬戸内海のとある島で行われていた獅子舞が、八幡浜や禎瑞へと伝わり、昭和になり崎戸町へと伝わったのではないでしょうか。

 禎瑞の獅子舞は、その後黒瀬へと伝わり、明治後半に荒川へと伝わって現在に至っています。
 
 この獅子舞は、伝承されていくうちに、それぞれの風土にあわせて変化し、それぞれの獅子舞として現在に伝わっているのではと考えます。

 日本全国には、色々なスタイルの獅子舞があります。
 もちろん「荒川の獅子舞」のように、子どもが太鼓をたたきそれにあわせて獅子が舞うというスタイルの獅子も数多くあります。
 しかし、私が知る限りでは、リズムがこれほど「荒川の獅子舞」に似た舞いは、西条市内の獅子舞を除いては、「崎戸獅子舞」の他にはありません。
 そして、五反田の唐獅子も太鼓のたたくスタイルが崎戸の獅子舞とよてもよく似ています。

この映像をご覧になってみて下さい。左が荒川と崎戸の獅子舞、右が五反田の唐獅子です。(画像をクリックして下さい。)
 いかがでしたでしょうか。
 この3つの獅子舞は 大太鼓のたたきかたのパターンが、非常によくにています。
 そして、獅子の動きが激しいこと、太鼓のたたき手に突進してくる獅子を追い払う様子などよく似ています。

 これほど類似性がある獅子舞が遠く離れたところでそれぞれ受け継がれてきているということで、紛れもなくルーツは同じであると確信したところです。

 それぞれの獅子舞について比較してみました。

【獅子頭】

 荒川は張り子、崎戸と五反田は木彫り。


荒川の獅子頭

崎戸の獅子頭

五反田の獅子頭

【胴幕】

 荒川は紺色で毛糸がついている。崎戸と五反田は緑色系で、模様もよく似ています。


荒川の胴幕

崎戸の胴幕

五反田の胴幕

【太鼓の台】

 荒川と五反田は1本足台、崎戸は4本足で両脇に締太鼓をつけている。


荒川の台

崎戸の台

五反田の台

【太鼓のたたき手の衣装】

 崎戸と五反田は化粧まわしをつけている。


荒川の衣装

崎戸の衣装

五反田の衣装

 獅子舞については、五反田唐獅子の方がより崎戸の獅子舞に近いと思われます。

 「荒川の獅子舞」と「崎戸獅子舞」そして「五反田唐獅子」のルーツとも言うべき獅子舞の発祥の地が四国のどこかにあるはずです。
 たいへんロマンのある「獅子舞のルーツ探し」これからも続けていきたいと思います。
五反田唐獅子に戻る