2006年 (山を歩く・その6) 


日浦〜旧別子銅山〜銅山越〜西山〜ツナクリ山〜銅山越〜日浦               平成18年6月4日
山に登り始めてほぼ1年。加茂地区を中心に石鎚山系の山ばかり登ってきたが、以前から赤石山系の山にも登ってみたいと思っていた。
まず手始めに、旧別子銅山の遺跡とツガザクラを見るために銅山峰に登ってみることにした。朝4時30に家を出て別子ラインを進み大永山トンネルをぬけ、朝の5時30分に旧別子山村の日浦に到着した。
旧別子山村の日浦の登山口。駐車場は工事中だったので近くの待避所に車を止めて歩き始めた。 旧別子銅山の案内看板。このルートは、旧別子銅山の遺跡がたくさん残っており、歴史街道のようになっている。
この道は22年前に一度途中まで登ったことがある。そのときはたしかダイヤモンド水あたりで引き返した記憶がある。
遺跡には、場所ごとに写真付きの案内看板が立てられている。ここは小足谷集落跡、石垣が当時を偲ばせる。
小足谷集落にあった味噌と醤油の鋳造所跡。今でも当時のままのエントツが残っている。 小足谷接待館跡。明治34年に当時の泉亭を改造して建てられたもの。接待館の周りを囲んでいた煉瓦塀が当時のまま残っていた。
住友別子小学校跡。最盛期の明治32年には298名の児童がいたというから驚きだ。大正5年に廃校になった。 小学校の石垣が延々と続いている。明治6年に設立され、明治22年にこの場所に新築されたそうだ。
山林課と土木課の事務所兼小足谷劇場跡。毎年5月の山神祭りの3日間は歌舞伎が上演され賑わいをみせたらしい。 この川は、吉野川の支流銅山川の源流域の流れになる。朝の空気の中、澄んだ水の流れはとても気持ちが和らぐ。
50分ほどでダイヤモンド水に到着した。ここは広場になっており休憩には最適の場所だ。遺跡を見学しながらゆっくりと登ってきたのでさほど疲れはないが、しばし休憩。 戦後、鉱床を探し当てるため掘削を行ったが水脈にあたり掘削不能となった。そのときのダイヤモンドを散りばめた先端部分が今も孔底に残っているためこの名前がついたそうだ。
こういう風景、なかなかいいものだ。吊り橋を渡りどんどん上へ向かって進む。 分かれ道に来た。どちらも銅山越へ続いているようだったが、今回は谷をわたって行く道を歩いてみることにした。
歓喜坑に到着した。別子山中に最初に開いた坑口がきれいに復元されている。 銅山越(標高1300m)に到着した。銅山の遺跡を見ながらゆっくり登ってきたので2時間ほどかかってしまった。
銅山越えにあったお地蔵さん。峰地蔵と言うらしい。無縁仏を供養するために造られた石仏が安置されている。 銅山越から東山、西赤石山方面を望む。ガスがかかって西赤石山は確認することができなかった。
こちらは、西山(1428m)とツナクリ山。今日は、こちらへ登ってみることにしよう。 新居浜の市街地が見えるはずなのだが・・。なんにも見えない。東平の銅山の里の建物がかすかに見える程度。
ツガザクラは期待どおりたくさん咲いていた。ここが日本の南限になるらしい。 至るところに咲いている。最近の登山者の急増で枯死が目立ち始めたため保護柵が設置されている。
ツガザクラは、初めてみた。小さくて本当にかわいらしい花だ。 朝が早いため花びらに露がついている。
しばらくツガザクラを堪能し、西山へ向かう。 30分ほどで西山山頂に到着。
西山からツナクリ山を望む。ガスがかかっている。まわりを見渡しても景色がかすんで見えにくい。 一気に下りまた登る。下ったところに銅山越への分かれ道があった。帰りはここから銅山越へ戻ることにした。
ツナクリ山への急坂を登る。心地よい汗をかいた。 ツナクリ山の山頂付近。晴れていたら絶景だったろうなあ。
ツナクリ山から沓掛山と黒森山。山頂付近は雲がかかっている。この山々東側から見たのは初めてだった。 こちらはちち山と笹ヶ峰。この道はあの笹ヶ峰へと続いている。ここからだとまだまだかかりそう・・。
ツナクリ山をあとに、再び銅山越に向かって戻ってきた。
ミツバツツジが咲いていた。時期的にはもう遅いはず。咲いていたのはこの1本のみ。
旧別子銅山跡を撮影。なかなかガスは晴れないが、見通しは多少よくなった。 銅山越に再度到着。今度は西赤石山(1626m)を確認することができた。
道ばたにたくさん咲いていた「アカモノ」。ちょうどいい時期に登ったものだ。 こちらもツガザクラ同様ちいさくてかわいらしい花だ。
こちらもたくさん咲いていた「ヤマニガナ」 こちらは「シロバナニガナ」かな?
「ガクウツギ?」う〜んよくわからない。 いろいろな山野草を見ながらゆっくりと下山した。登り口付近にはたくさんの車が止まっていた。午前11時30頃だった。

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