平成20年1月5日
旧石鎚村の虎杖から横峰寺へ登る途中、郷集落跡を再び訪ねてみることにした。
この集落には、大正末期には13世帯が住み、その当時千足山尋常高等小学校の本校があったとろこのようだ。
終戦後の昭和25年にも9世帯48人が生活していたらしい。
ここに来るのは昨年の2月以来、今回で2回目になる。
昭和53年に廃村になったこの集落をしばらく探索してみよう。
虎杖から50分ほど登ると遍路道沿いに石垣がたくさん見えてきた。
郷集落跡についたようだ。
見上げると石段がはるか上まで続いている。
集落があった当時は、このあたり一面段々畑が開けていたのだろう。
今は、杉・桧が植林され、当時の面影はない・・。
石垣が見えてから10分ほどで郷のお堂についた。
お堂は1年ぶりに見る。なぜかなつかしい。
お正月ということで、しめ縄がかけられていた。
お堂の扉が少し開いていて、お正月の準備ができていた。
元集落の住人が戻ってきているようだ。
お堂の隣には、六地蔵さんが祀られている。
その前には石碑があり「元 千足山村 字郷部落跡」とある。
「有る限り 語り伝えよ 郷の坂」
昭和54年と言えば、この集落が廃村になった年の翌年。
集落はなくなっても、この坂道がある限りここに集落のあったことを後生に伝えていくように・・という意味かな。
早いもので、昭和54年からもう30年近くたつ。
お堂の近くには色々なものが捨てられていた。
これは何に使ったものかな?
お堂の後ろにも・・色々。
お堂のところから道が続いていた。
地図を見るとこの道は槌ノ川集落跡へ続いているらしい。
また、この先には、千足山尋常高等小学校の本校があったらしい。
早速行ってみることにした。
道を下っていると・・上の方に石垣が見えた。
よく見ると、結構長い石垣。
これは、もしかすると小学校跡の石垣では・・?
石垣の上に登ってみた。
学校があったことを確認できるものは何もなかったが、このあたりの急斜面にしては、結構広い平坦地になっている。
ここに学校があったとしても決して不思議ではない。
その上にも石垣があった。これはもしかして、教員住宅跡では・・。
石垣の上に登って下を見ると、やはりここに学校があったようだ・・そんな気がきてきた。
しばらく付近を歩いたあと・・
お堂まで引き返し、しばらく集落跡を散策してみたが、廃屋はこの1軒だけしか見つからなかった。
廃村になったときに、ほとんどの建物は取り壊されたようだ。
とりあえず郷集落の探索はここで終わりということにして、横峰寺へ向かうこととした。
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