黒川集落から降りてきて、農協跡付近を散策してみました。
まわりをうろうろしてみると・・建物の右奥の方に記念碑らしきものを発見しました。
石碑には「電気導入記念碑」と書いてました。
後ろには「昭和四十年六月吉日設立」と書いてあって、導入の経緯らしきものが小さい文字でこと細かく・・彫ってあります。
読んでいると目が痛くなりそうだったので、続きはまた今度来たときに・・・。
この集落にとって、電気が導入されたことがそれほど貴重なことだったんだなあということに、少々考えさせられるところがありました・・。
農協跡の左側へまわってみると横峰寺の登山口がありました。なるほどここがあの星ヶ森の登山口になるのかな。
これはまた、天気のいい日に登ってみなくちゃ。あの鳥居の向こうの石鎚を見てみたい・・。
農協跡をあとにして、車で上流の方へ向かいました。
5分もたたないうちに、道が広くなっているところがありガードレールの向こう側に石柱が2本建っているのを発見。
気にとめていなければ見逃してしまいそうな風景ですが、まてよ・・・これには見覚えがあるぞ・・。
思わず車を停めて石柱を見ると「石鎚小学校」「石鎚中学校」とありました。
わかった・・ここは、かつての学校跡・・でした。
以前(と言ってももう20年以上前になりますが・・)ここへ来たときには、まだ校舎が残っていて、学校跡とすぐにわかったのですが・・。
その当時(昭和59年)偶然同じ場所から撮影した写真を見つけたので掲載してみます。
当時あった学校の建物は取り壊されてしまって、唯一校舎の右側にあった小さな建物のみが残っています。
道下へ降りてみると・・。グランドの片隅には遊具が残っていて、これを見るとなるほど学校跡だということがわかります。
石碑がありました。「皇太子殿下御降誕記念
昭和十年」と書いてあります。
この石碑の後ろにも建物が建っていたらしいのですが、何があったのか以前ここを訪れた時のことが思い出せません。
なにしろ、もう23年も前の話ですから・・・。
またまた、その当時写した写真を一枚。
昭和59年にここに来たときは、こんな立派な校舎が残ってました。
当時は公民館として利用されていたようです。
色々調べてみると学校は昭和52年に廃校になったようです。
また、石鎚小学校の分校(途中ノ川分校)もあったらしいです。
まあ、1,000人を超える人が住んでいた村だったですから・・。
上の写真と同じ場所を撮影した写真です。校舎は完全に取り壊されてしまって、当時の面影はさっぱりありません。
あまりの変わり様に、時の流れのむなしさを感じながら・・学校跡をあとに、次は諏訪神社まで行ってみることにしました。
想い出の校舎に戻る。