石鎚村の生い立ち | |
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山中に点在する民家(黒川集落・昭和59年撮影) |
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石鎚村は、天正十三年豊臣秀吉の四国征伐の際、追跡を逃れて現在の「成籔」集落の上にある「池の窪」という山のなだらかな尾根へ逃げた一族が小部落を作ったのが始まりと言われています。 |
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【人口の推移】 明治21年 1,307人 昭和30年 1,189人 昭和33年 977人 昭和35年 898人 昭和45年 329人 昭和55年 44人 昭和62年 27人 平成 2年 13人 平成 7人 11人 平成19年 2人 ※平成19年の人口は湯浪集落を除く。 |
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