1月14日
中村集落の曽我部さんのお宅におじゃましたあと・・・。
曽我部さんに「谷ヶ内集落」への道を教えていただき、早速行ってみることにした。
中村集落から谷ヶ内集落への道。最初はとてもわかりやすい道だったが・・。
だんだんと道が不鮮明になってきた。それでもよく見ると奥へ向かって確かに道が続いている。
でも、最近はほとんど人は通らないのだろう。
所々、崩れてしまっているところもある。
10分も歩かないうちに石垣が見えてきた。
おっ、これはいよいよ谷ヶ内の集落が近いのか・・と上の方を見上げると。
これはすごいっ!上にむかって延々と石垣が続いている。
今は植林木に覆われているが、昔このあたりはずいぶん開けていたんだろうなぁ・・と想像してしまう。
こんな石垣を見ると、ついつい一番上まで登ってみたくなる・・。
しばらく登りの連続、登り続けると山林になったので、今度は奥に進みながら谷の方に下ってみた。すると・・。
洗濯機が転がっていた。それもだいぶ古い型のものだ。
いよいよ谷ヶ内集落の住居跡についたらしい。
付近を散策すると、それらしい石垣があった。
さっそく登ってみると・・あったあった、これは・・屋根がつぶれている。
この家は、住まなくなってずいぶん年月がたっているようだ。
ここでもまた一番上まで登り、探索してまた一番下まで下ってきた。
住居跡のような感じの雰囲気ではあったが、それらしい痕跡はもうひとつ・・。
一番下から上を見上げると、みごとな石垣。
急斜面なので、ここに家を建てるのにはずいぶん苦労したに違いない。
そう思ってまわりをよ〜く見回してみると・・。
おおっ、廃屋が残っている。
それもずいぶんきれいな感じで・・・これは感激。
さっそく行ってみることに。
だいぶ古そうな感じではあったが、しっかりと残っていた。
お風呂場、いつもどおりの「五右衛門風呂」
物置には、焚き物にするためなのだろう丸太がきれいに積見上げられている。
その家の隣にもまた廃屋が一軒。この家、2階の壁が白くペンキで塗られている。なかなかおしゃれな感じがするなぁ。
その隣にももう一軒。でもこちらはほとんど朽ちてしまっていた。
さて、そろそろ引き返そうか。
と思ったが、山中をウロウロしたせいか、ここまでやってきた道がわからなくなった。
まあ、いつものことですが・・。
しかたなく、またまた勘をたよりに来たと思われる方向に向かって山中をさまよう・・。
よかった・・道に出た。(またまた一安心)
確かに通った道だった。
中村集落に戻ってきた。
この索道、今でも使われているのだろうか?
たしかに重たい荷物はこれがないと運べないだろう。
登るだけでも大変なのに・・。
この集落を訪れて、昔の人はすごかったとあらためて思った。
本当に体力勝負、元気でなければ山での生活はできないなあ・・。
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谷ヶ内集落の探索で旧石鎚村の探索はほぼ終了したことになる。
(途中の川集落へは、まだ行けてないので、また行ってみたい。)
石鎚地区は、昭和43年に石鎚登山ロープウェイが営業を開始してから劇的に変わってしまった。
昭和43年といえば、もう40年も昔になる。
集落跡を探索していて、その年月の長さを感じることが多い。
遅きに失した感もあるが、今のうちにこの村の記録を残しておこう・・とう気持ちがさらに強くなった。
集落を探索して思ったのは、お地蔵さんが多いこと・・。
曽我部さんの話によると、村内に88のお地蔵さんがあるようだ。
各集落にある石造りの常夜灯もとても趣がある。
この村の人たちはそれだけ信仰心が強かったのだろうか。
今週末は、色々用事があったり、仕事であったりとかで探索はできない。
石鎚村探索は、これからもマイペースで続けていきたいと思います。
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