3月17日の続き・・・
途中の川集落行きを断念したあと、気を取り直して戸石集落へ向かうことにした。
この集落も丹原町のような気がするのだが、どういうわけか小松町旧石鎚村。
どういう経緯でこうなったのか・・。
丹原町の湯谷口の手前を山に向かって進む。
この道は、はじめて通る。
知らない道は、本当にワクワクする。
すぐに工事中の志河川ダムが現れた。
しばらくは2車線の新しい道。
その後1車線となり、集落がポツリポツリ。
だんだんと山が深くなり、ダムから15分ほどで舗装のしていない林道になった。
その起点に集落に登る分かれ道があったが、今日は戸石集落のみを目指すことに。
はじめてのところでもあるし、ここから戸石集落まで歩いてみることにした。
途中、「林道戸石天ヶ峠線」とある。
この林道、天ヶ峠まで続く予定なのか・・。
しばらく進むと、これは立派な素堀りの隧道が・・
隧道を過ぎると、しばらくして戸石集落跡が見えてきた。
いい感じの建物が道沿いに残っている。
人の住んでいる気配はまったくない。
ずいぶん前に廃村になっているようだった。
とりあえず、林道をどんどん進んでみることに・・。
途中橋があって、なにやら看板が。
なになに、「林道使用料について・・」
この林道有料道路なのか・・。
橋の手前に天ヶ峠方面に続いていると思われる道があった。
行ってみたかったけど、今日はがまん。時間がない・・。
再び集落跡まで下ってきた。
さて、集落の中を散策してみることにしよう。
植林木の中にたくさんの廃屋が残っている。
なにやら学校の校舎のような雰囲気の建物があった。
戸石に分校があったのは前もって調べていたのでわかっていたのだが・・。
昭和25年の台風災害で全壊し、閉鎖になったはずだ。
正面に廻ってみた。
みれば見るほど学校のような雰囲気。
中に入ってみた。
やっぱり学校のような・・。
机も残っているし。
見てみると、どうやら集会所として利用されていた建物らしい。
これが学校だったかどうかというのは、今後の研究課題としよう。
この建物の屋根についていた立派な破風?
この花びらのマークは何だろう・・。
表側にもあったのだが、裏へ廻ってみるとあったこれは何?
う~む、わからんことだらけ・・。
考えていると日が暮れるので、考えるのはあとにしよう。
学校跡らしき建物のすぐそばに神社があった。
神社の近くには、お堂もあった。
石鎚村には、集落のほとんどにお堂があったようだ。
お堂のそばにあったお地蔵さん。おだやかな顔をしている。
ふたたび周辺を散策。
なつかしい洗濯機を発見。
上の方へ階段が続いていたので登ってみた。
これは何の器械なんだろう。
どこかで見たことあるような・・・。
五右衛門風呂があった。
昔はみんなこんな風呂だったよなあ。
すぐ横にはエントツが・・。
こんなところから煙がモクモク出たら、煙たいのでは・・。
戸石集落には今でも生活の跡がたくさん残っていた。
人が住んでいた当時、戸石集落の人は天ヶ峠を越えて村の人と往来していたのだろうか・・。
ふもとへ降りるのはどういうルートで降りていたんだろう。
色々考えることはあるが、集落をあとに林道を歩き帰路についた。
途中、人が住んでいるらしき集落が見えた。
丹原町の影無地区のようだ。
車を置いたところに登り口があった集落だな・・。
今日は色々まわって充実した一日だった。
旧石鎚村もいろんなところに行ってみたが、平地がほとんどないこの山の中で工夫をしてよく生活していたものだと感心することばかり。
ますます、興味が沸いてきた。
おしまい・・です。
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