【浦山(うらやま)小学校】

浦山小学校
明治43年:黒瀬尋常小学校浦山分教場として開校
昭和24年:西条市立浦山小学校となる
昭和51年:高嶺小学校浦山分校となる
昭和61年:高嶺小学校閉校により浦山小学校となる
平成元年:3月児童数0により、休校となる
平成2年:4月開校し、現在に至る

大保木地区で唯一存続している小学校です。
平成17年度は、3名の児童がかよっています。

  【浦山小学校校歌

 1 高くそびえる 石鎚に
   霧たちのぼる 天河寺
   雲つくばかりの 大杉に
   負けずにのびん 浦山校

 2 加茂の流れに 身をそそぎ
   観音さまに 誓いたて
   師のみ教え 守りつつ
   正しくはげむ 浦山校

 3 はるかに浮かぶ 島かげや 
   まなびやおおう 山桜
   人の心は 美しく
   たゆまずみがく 浦山校

昭和61年1月撮影


学校上の道から撮影

学校の東側から撮影

運動場

教室の中

当時石垣のところに掲げてあった詩

正面から撮影
 昭和45年、荒川小学校に通っていた私は、小学校の遠足で山越えをして浦山小学校へ行きました。
 その当時は今のように車が通る道はなく、細い峠越えの道をてくてくと2時間以上かかってやっと浦山小へだどりついたように思います。
 その頃の荒川小学校の全校児童は17人、浦山小学校も17人、今から思えば浦山地区にもたくさんの子どもがいたんだなと思います。
 浦山小の子どもたちはみんないきいきとしていて、笑顔がとても印象的でした。
 弁当を食べ終わるとみんな弁当箱をきれいに洗っていたことに感心したのを覚えています。
 この遠足が大変印象に残って、大人になってからも浦山の方へはちょくちょくかよっていました。
 加茂、大保木地区の小中学校がつぎつぎと閉校になっていく中、浦山小学校は今でも唯一存続しています。
 ここにくると当時のことを思い出してたいへん懐かしい気持ちになります。
昭和61年11月撮影


小学校遠景

道上から撮影

東側から

廊下

この年に浦山小となる

正面からワイドレンズで撮影

平成16年9月29日の台風21号で浦山地区では大きな災害がおきました。
地区への道は寸断され、ほとんどの人は市内での避難生活を余儀なくされました。
浦山小学校の子どもたちは、しばらくの間、神戸小学校の空き教室を利用して授業を受けました。
平成16年11月撮影


台風により崩壊した谷川
再開を待つ小学校

平成17年8月中旬に寸断されていた道路が仮復旧(時間帯により通行可)したことにより、平成17年9月1日学校が再開されました。
浦山小学校の3人の子どもたちは、11ヶ月ぶりに山の学校にかようことができるようになりました。

その後、学校は、子どもたちの卒業に伴い平成22年4月から休校となり、新たな児童の入学をずっと待っていましたが、平成26年10月の台風19号により大規模な山腹崩壊がおこり、小学校への道路が通行できなくなったことなども影響して、平成31年3月末をもって閉校となり、110年の歴史に幕を閉じることになりました。

平成19年9月撮影

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