獅子舞のルーツ
◎日本の獅子舞のルーツ 【獅子舞の起源】 現在、日本各地で行われている獅子舞は、インド地方の遊牧民や農耕民の信仰からライオンが神格化され、それを偶像化させた獅子舞が生まれ、宗教行事の一つになったことが始まりと考えられています。 その後、この地方と交易が盛んだったチベット、中国、東南アジアへと伝わり、それぞれの地方で独自の獅子舞が誕生しました。 【日本への伝来】 日本へは、奈良時代以降に中国本土から直接伝えられたり、朝鮮半島経由(北方系)、東南アジア・台湾・琉球経由(南方系)など三つのルートで伝えれられたようです。 その後、それぞれの地域の人々によって独自の舞い方が形成され、宗教的行事や地域のお祭りに欠かせない郷土芸能として定着し、今日に至っています。 このように獅子舞が日本の各地に急速に広まったのは、室町時代から江戸時代の初期のころ江戸大神楽師、伊勢大神楽師と呼ばれる神事を業とする一団の悪魔払いの祈祷獅子が全国をまわった結果であると言われています。 【日本の獅子舞の系統】 (伎楽(ぎがく)系) 本州中部以西の西南日本では、獅子の頭につけた胴幕の中に二人以上の人が入って舞う、「二人立ち獅子舞」が多く、これは大陸から伎楽の一つと して伝来したもので伎楽系の獅子舞と言われています。 ※伎楽とは呉楽(くれがく)と呼ばれ、612年百済(くだら)から帰化した味摩之(みまし)が伝えたという、楽器演奏を伴う無言の仮面劇です。 伎楽には獅子舞という演技があり、これが日本各地で行われている獅子舞のルーツになったと思われます。 (風流系) 関東・東北地方などで行われている鹿舞(ししおどり)と呼ばれるもので、鹿(しし)の頭をかぶり胸に太鼓を付けた一人立ちの舞いで、太鼓を打ちな がら踊るものです。 この系統の獅子舞は、古事記にも登場することから古来の踊りの一つでもあったようです。 ※獅子舞の獅子頭といえば、ライオンが原型と思われますが、地域によっては、竜、鹿、猪、虎、麒麟などになっているものもあります。 |
◎荒川の獅子舞のルーツ 「荒川の獅子舞」は、明治34年に隣の大保木村の黒瀬から伝わったと言われています。確かに「黒瀬の獅子舞」は、太鼓のリズムが「荒川の獅子舞」とたいへんよく似ています。 また、「東宮神社の獅子舞」は、明治初期に島から伝えられたと言われていますが、この島というのがどこの島なのか記録に残っていません。 最近大保木のかたから聞いた話なのですが、「黒瀬の獅子舞」は、明治時代初期に西条市の禎瑞地区から伝わったというのです。 当時の黒瀬村と禎瑞村は、禎瑞村で稲作に使った牛を農閑期に黒瀬村にて放牧し休養させていたという関係でつながりがありました。 その当時、禎瑞の嘉母(かも)神社のお祭りには獅子舞が奉納されており、このような交流の背景で、黒瀬村に獅子舞が伝わったということです。 その後嘉母(かも)神社では、いつしか獅子舞が行われなくなってしまいました。 それならば、禎瑞村には、どこから獅子舞が伝わったのでしょうか。それもまたなぞになっています。 大保木に地区伝わった獅子舞が、禎瑞からであれ、どこかの島からであれ、はっきりと記録に残ってないことからするとルーツ探しはここまでということになります。 私は今までに愛媛県内の獅子舞をいくつか見ましたが、「荒川の獅子舞」に似たリズムの獅子舞は見たことがありませんでした。 |
【加茂・大保木地区の獅子舞の変遷】 ? 江 戸 ↓ ↓ 瀬戸内海の島→→崎戸町の獅子舞(?) 千町の獅子舞 ↓ ↓ 明 治 ↓ 瀬戸内海の島? ↓ 禎瑞の獅子舞→→┓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 黒瀬の獅子舞→→→→→→→→→→東宮神社の獅子舞→→大元神社の獅子舞 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ? ↓ 荒川の獅子舞→→→┓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 大 正 ↓ ↓ 八の川の獅子舞 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 昭 和 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ × ↓ ↓ ↓ ┣→→→西田の獅子舞↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 平 成 ↓ ↓ ↓ ↓ × ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ |
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