福島正則による石鎚山の巨材搬出


西日本最高峰の石鎚山(1982m)
 今から400年以上前、豊臣秀頼が徳川家康のすすめにより慶長元年の大地震によって崩壊した京都方広寺の大仏殿の再建をするときに、その用材を石鎚山に求め、その伐採及び運搬の役目は福島正則がつとめたという。(前神寺の旧記、徳蔵寺の日記による。)
 機械力も何もない古代において急峻な石鎚山中から巨木を搬出し、広江の港から船や筏に積んではるばる都に運んだ福島正則の苦労は並大抵ではなかっただろう。この石鎚山の巨材搬出の様子について、広江村(現:西条市広江)徳蔵寺の旧記(1675年)には次のように書かれている。

 
『石鎚山から巨材を出すのに山元は異常な峻険であり、加うるに神木だという精神的な恐れも手伝ったものとみえ、正則は人夫の激励に努めたが、運材には困難を極め多くの死傷者を出した。ついに人力だけではどうにもならないことに気付き、伐木の代償として、破壊している成就社の神殿を造営するという願文を神前にかかげ、ようやく神力の加護によって運材を完了した。』

 当時の木材搬出がいかに困難なことであったかということがうかがえる。

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