加茂川流域における植林の始まり


江戸時代に植林された杉の大木(西条市荒川地区)
 加茂川流域の山林地帯は、地味が良好で樹木の生育に適している。古代においては巨木・老樹がうっそうと茂っていたに違いない。この地域の造林の始まりは、伝わるところによると、本格的な造林施行は別として、一部の地域においては相当古くから植林がおこなわれていたようだ。大保木地区においては、愛媛県内でもかなり古い歴史を持っており、約400年以前から人工造林を試みたという。加茂地区においても、これに次ぐ古い歴史を有している。(愛媛県新居郡地誌による。)
つまり、一部においては、すでに江戸時代の初期から植林が試みられたと考えることができる。
現在、これを裏付けることとして、以下の事実をあげることができる。

(江戸時代に植林が行われた裏付け)


○西条市東之川御樽の工藤勅重氏所有の山林に残っている杉の切株十数本は植林木と考えられ、切株から樹齢を推定しても250年はくだらない。(昭和56年 上野清七氏から聞き取り)

○大保木地区における銀納問題によって、年貢の銀納が許可された寛文10年(1670年)以降、村民は山からの貨幣収入を得るため、杉、ひのきの植林を盛んに行ったということが伝えられている。

○西条藩自らが植林に力を入れて加茂川流域の搬出の便のいいところに、杉・ひのきを植林したと言われている。

(江戸時代末期から明治期にかけて植林が行われた裏付け)


○上野清蔵氏(1846年生)が、文久2年(1862年)結婚記念にと楮を栽培していた荒川の入合山へ山引き苗の杉、桧を約4町歩植え、楮を栽培しながら育てたという。(昭和56年 上野清七氏から聞き取り)

○明治6年に建てた西条市丸野の実家のもやは植林木だった。(昭和57年 元愛媛県林業研究グループ連絡協議会長伊藤幸雄氏から聞き取り)

○元西条市森林組合長工藤政義氏(明治33年生)が17歳のときに、兎の山の十亀道雄氏所有の山林に植林木と思われる50年生の木がかなりたくさんあり、また、そこには切株がたくさんあったという。(昭和56年 元西条市森林組合長 工藤政義氏から聞き取り)

以上のことから加茂川流域山村では、江戸末期から明治期において、用材林としての植林が各地でさかんに行われていたということができる。

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