大保木(おおふき)地区の獅子舞
西条市大保木地区は、加茂地区と同じ西条市の山間部に位置します。
大保木村は、昭和31年、加茂村とともに西条市と合併しました。
大保木地区にも古くから獅子舞が伝承されています。

◎東宮神社の獅子舞

極楽寺近くにある東宮神社にも獅子舞が伝承されています。

大保木のあばれ獅子は、明治の初期伊八郎さんという人が、島から習って 帰り、地区の若者に教えたのがはじまりと言われています。
この島というのは、大三島ではないかと伝えられていますが、西条市内の禎瑞地区 という話もあります。

当時は、若者が多く、太鼓や、鐘に合わせて勇壮に舞う獅子を、 子役(なぶりこ)が打ち払う姿に、人々は感動したそうです。
ちょうど、作物を荒らす害虫や動物を退治し、豊作を祈り、 家内安全、悪魔払いの舞いであると考えられ、 地区の氏神(東宮神社) の秋の祭典の行事のお供獅子として取り入れられるようになりました。

10月10日のお祭りには、神輿のお供をし、地区をまわり、 勇壮な舞いを披露し、お祭りを盛り上げています。

荒川の獅子舞とは違い、獅子の中には複数の人間が入り、頭の使い手が途中交代しながら舞を舞います。

【東宮神社の獅子舞口上】

トオザーイ、トザイ
しばらく鳴り物を静めおきまして、不弁舌なる口上をもって申し上げます。
当村、東宮神社祭礼につき、神鎮めのため不調法なる獅子の一曲、そもそも、 この獅子の謂くと一般昔、天神七代ののち、地神五代のはじめ、天照大御神様、 高天原にて神楽の前に接し給う。
その御時、この獅子はじめ天が下にて悪魔を祓う。
かくと豊かにめでたかきひとえに神楽の遺徳なり、申し上ぐれば長きこと。
獅子は荒々、敬って申す。

東宮神社

東宮神社

神輿

神輿

東宮神社の獅子舞

東宮神社の獅子舞

東宮神社の獅子舞(35秒)-(175K.mp3) H12.1.6
東宮神社の獅子舞(2分17秒)-(292.asf)
H13.3.4

◎黒瀬の獅子舞

黒瀬地区は、大保木一の米どころでしたが、 黒瀬ダムの湖底に沈んでしまい、現在はありません。
古老の話によると、「黒瀬の獅子舞」は明治時代の初期禎瑞から伝授されたようです。

禎瑞村と黒瀬村の交流は牛を介して行われました。
禎瑞地区は市内屈指の稲作地帯で、稲作に使う牛を農閑期に黒瀬にて放牧し、休養させていました。
農繁期にはお互いの農作業を手伝い、気心が知れて結婚した方もたくさんいたようです。

明治時代、禎瑞の加茂神社のお祭りには獅子舞が奉納されており、このような交流の背景で、黒瀬村に獅子舞が伝わったと思われます。
加茂神社では、いつしか獅子舞が行われなくなり、現在では、子供太鼓台が奉納されています。

ダムができる前の黒瀬森岡神社の秋のお祭りは、毎年10月14日、15日 の両日に行われ、獅子舞が奉納されていました。
お祭りの日は、まず神社で舞い、各戸を廻り、またお旅所でも 舞っていたようです。
獅子頭は、上黒瀬の雌獅子と下黒瀬の雄獅子の2頭あり雄獅子には牙がありました。
当時黒瀬には、100軒をこえる家があり、お祭りの当日はたいへんにぎわいをみせたそうです。

荒川の獅子舞は、明治34年、当時の村長酒井友吉氏らによって、黒瀬から伝授されました。

黒瀬の獅子舞

黒瀬の獅子舞(昭和40年頃)



黒瀬の獅子舞(平成21年)
水没前の黒瀬

水没前の黒瀬

【黒瀬の獅子舞口上】

東西(とおざい)、東西(とおざい)
当村森岡神社祭礼につき、神崇(あが)めんがため舞調法なる獅子一曲 相勤めますの段、
そもそもこの獅子のいわれとは、一般昔天神七代地神五代の初め、 天照大神天の岩戸にかくれ給う、その御時天が下にて悪魔を払う。
かくと目出きこと、長き口上は万端の妨げあらん、敬って申す。

◎大元神社の獅子舞

現在の石鎚ふれあいの里付近にある大元神社にも獅子舞がありました。
大元神社の獅子舞は、明治時代に黒瀬から伝わりましたが、現在は行われなくなっています。
この獅子舞は、市内の西田地区に受け継がれ、現在も行われています。

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