まめまきの おにばらとりの ぼくたちだ |
節分 2月3日か4日が節分で、翌日が立春、節の節目という意味で 節分といいます。 竹串に鬼のバラ(タラの木)と鰯の頭をさして、戸口や 窓に立てる風習があります。 病気とか災いは鬼、この鬼を追い払うため豆まきをします。 大豆をこうらであぶって一升ますに入れ、鬼のバラと 鰯をそえて大黒様に供え、夕方になると「福は内、鬼は外」 と大声をあげながら豆をまきます。 桓武天皇の時代、中国から伝来したもので、この頃は 朝廷の行事でしたが、神社・寺・民家と一般にも広まり ました。 |
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みんなで つくる 加茂かるた |
かるた イロハカルタには、江戸かるたと京かるたがあって、犬棒かるた (犬も歩けば棒にあたる)は江戸かるた。 心を豊かにする公民館活動で、生活文化をとりあげ、昔の遊具づくりを試みました。 塩出光雅先生をお迎えして、カルタの文句の作り方を教わり、近藤泰司先生を お迎えして絵の書き方を教わり、5〜6年生でジャンボ加茂カルタを作りました。 郷土の自然、地名、民族などを網羅した、ジャンボ加茂カルタが昭和54年完成 しました。 体育館いっぱいに並べて、周囲から走って出てとるカルタ取りはとても たのしい思い出があります。 |
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むぎわらざいく 作ってたのしい 馬やしか |
麦藁細工 裸麦がさかんに栽培されていた頃は、麦のあげなか(最後の手入れ)が終わってから、 穂がぐんぐんのびはじめます。 黒穂を目当てに抜き、麦笛を作って楽しんだものです。 収穫が終わった麦わらの軸をつみ取って、ホタル籠・キセル・馬・鹿・ キリン等を親と子が一体となって作りました。 昨今は、コンバインで作業をするため、麦わらがなかなか手に入らなくなりました。 農機具の発達によって、このような親と子のふれあいが少なくなっています。 |
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めがつぶれても なおしてくれる おやくっさん |
水田のお薬師さん 水田のお薬師さんは、釜切山の手前の小谷の側に祀られてあります。 目を直してくれるお薬師さんとして信仰しております。 あらたかなお薬師さんの分身が、藤之石のあたご地蔵の境内の山手にお祀りしてあります。 願かけをして全治いたしますと、タコの絵を書いてお供えするそうです。 |
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もみじが 色づく 加茂の山 |
加茂村 面積 69.81平方キロメートル 人口 261人(平成9年) 明治22年、荒川山村、千町山村、藤之石山村の3ヶ村が合併して加茂村となり、 以来十六代の村長をいただき、昭和31年9月28日西条市に合併しました。 30年代後半から過疎化が始まり10年で2分の1、15年で3分の1、 現在12分の1に減少しました。 面積のうち、ほとんど山林。耕地300ヘクタール、造成地と同面積 ですが、現在は山林又は荒地となっている処が多く耕地も減少しています。 |
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