「なぶりこ」について
荒川の獅子舞

「なぶりこ」とは、獅子舞をするとき太鼓をたたいて獅子をあやつる小学生のことを言います。
最初、元気よく暴れまわっていた獅子は、なぶりことの舞いのなかで疲れ果て、最後には なぶりこにあやまる動作をします。

「なぶりこ」は、獅子舞が始まった頃、8歳になると習えたようですが、その後年齢制限はなくなり 4歳から習った子供もいたようです。
初代「なぶりこ」は、西条市駅前西通り菅芳治氏といわれています。

昔は、「なぶりこ」のなり手が多く、順番がなかなかまわってきませんでした。
小学校の3年頃からはじめて6年生まで4年間ぐらいが普通だったようです。
昭和45年頃は、「なぶりこ」の後継者がいなくなり獅子舞の存続が危ぶまれる 時期がありました。
この頃は、青年団が「なぶりこ」をつとめていました。

「なぶりこ」の育成は青年団の役目ですが、この獅子舞は、太鼓のリズムが早く、 たたき方も難しいので、最初は手取り足取りで大変苦労します。
昭和40年代までは、化粧をして太鼓をたたいていましたが、その後しなくなりました。

その時々の「なぶりこ」の衣装がその時代を象徴しています。 以下に、昭和30年代から現在までの歴代の「なぶりこ」の写真を掲載します。 衣装とともにご覧ください。

☆昭和30年代

獅子頭も太鼓も一世代前のものです。
この頃の「なぶりこ」は、頭は 丸坊主で、化粧をし、トレパンをはき、背中には、たすきを何重にも結ん でいました。
練習はかなり厳しく、間違えると獅子で頭を殴られたり、足を払われたり して、泣き出す子供もいたようです。子供が多かったため、 「なぶりこ」ができる子供はごく一部で、 期間も3〜4年と短かったようです。




☆昭和40年代

この頃は、山間部の過疎化による後継者不足で、存続が危ぶまれた時期でした。
「なぶりこ」のなり手がなく、青年団がつとめていた時期もありました。
昭和49年に加茂地区公民館が中心となり、「なぶりこ」の育成を行いました。 獅子頭、太鼓、衣装を新調し、再出発しました。 このころから、化粧の風習がなくなり、トレパンから短パンへと徐々に変わっていきました。




☆昭和50年〜62年

加茂青年団が中心となり、積極的に「なぶりこ」の育成を行いました。
各種イベント等にも多数出演し、「荒川の獅子舞」の知名度もあがってきました。
衣装も再度新調し、短パンが主流となりました。




☆昭和63年〜平成8年

加茂小学校と協力して、「なぶりこ」の育成を積極的に行いました。
それまでは、お祭りの際の「なぶりこ」は、2人だったのですが、 4人の「なぶりこ」が活躍した時期もありました。
人数が増えたので、衣装を追加し、ズボンもそれぞれが好みのものを はくようになりました。

昭和63年〜

昭和63年〜

平成元年〜

平成元年〜

☆平成9年〜平成17年

加茂小学校も廃校となり、元加茂小の子供たちも全員中学生、 高校生になりました。
世代交代の時期を迎えて、新たな「なぶりこ」の育成が 必用になってきたため、平成9年から積極的に後継者の 育成を行いました。
昔から「なぶりこ」は、男の子がつとめていましたが、 男女の区別なく育成を行ったため、初めて女の子の 「なぶりこ」も誕生しました。

平成9年〜

平成11年〜

平成12年〜

平成12年〜
☆平成18年〜

久しぶりの新しい「なぶりこ」の誕生です。これからもいつまでもこの獅子舞が続くよう後継者の育成を続けていきたいと考えています。

平成18年〜

平成19年〜

平成20年〜

平成20年〜

平成21年〜

平成26年〜

荒川八幡神社の神輿
                     

2人の「なぶりこ」と2頭の獅子の舞い(平成19年11月3日)
◎「なぶりこ」の衣装
昭和48年以前昭和49年〜昭和58年〜


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