あしが なおるよ すじ神さま |
筋神さん 天正13年、豊臣秀吉の四国征伐の折、高峠城は小早川隆景の大軍 の攻撃を受け、虎武丸と生母(菊姫)は、土佐の長曽我部元親を頼 って落ちのびようとしました。 しかし、山路は悪く中の池あたりで持病の筋病を煩い、しばらく民 家で養生することになりました。 そのうち高峠城落城の知らせを聞いた土民軍は反旗をひるがえし、 現在の筋神神社あたりで虎武丸は討たれ、姫も自害して果てました。 後世、人々は筋神神社と呼び、筋病に効験ある神様として祀るよう になりました。 姫は生前冷酒を好んだため、願いをするときには、オリカケダルに 御神酒を入れて供えます。 |
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いつも やすまず 目のたいそう |
目の体操 加茂小学校(現在の加茂地区公民館)は、加茂川の左岸にあり、 加茂川を隔てた対岸の山には、「視力測定」の出来る大きな パネル4枚が設置されていました。 学校の運動場からパネルまでの距離は100mくらいで、 加茂小学校の児童達は、そのパネルを利用して毎日目の体操を していました。 現在は、山の木が大きくなりパネルが見えなくなってしまいました。 このカルタを作った頃は、パネルの周囲の草刈り作業もしていたそうです。 |
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うすぐもひめの 伝説のこる かざすきよ |
うすぐも姫 天正2年、土佐窪川城の城主山内常清に 一人娘が生まれ、「うすぐも姫」と名付けました。 弱肉強食の時代、姫の縁談も城攻めの格好の口実となり、山内常清は 姫を風透山に住まわせることにしました。 いつの頃からか姫のもとに一人の貴公子が現れるようになり、 姫は、恋のとりこになってしまいました。 ある夜、姫は召使いと男が来るのを待って 「一生おそばにいたい。」と望むと、 男は「他人に見られた上は、今夜が最後です。」 と立ち去ってしまいました。 姫は、男の着物の裾に糸をとじつけ、 翌朝、その糸をたどると、止呂淵の蛇神が住むという風透山 の風穴に入って消えていました。姫は、衝撃で病気になって しまいました。傷心の姫はいつしか身ごもっていましが、 生まれてきたのは、小蛇の群でした。姫は驚きと産後 の高熱にうなされて亡くなってしまいました。 まだ、21歳の若さでした。 |
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えんそくは しも千町で はんごうすいさん |
遠足 下千町で加茂川が大きく曲がり、鬼岩あたりは格好の 泳ぎ場です。 そして、加茂小学校の児童にとっては遠足を 楽しむ場所でした。 谷川のきれいな水で米を洗い、近くの山へ入って 木の枝を拾い、はんごうで炊くご飯はたいへんおいしいもの でした。 加茂小学校の児童にとっては、たいへん思いで深い場所です。 |
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おたがいに 助け合います 協力はん |
協力班 加茂小学校は児童数が少なく、同級生も若干名といった状態でした。 そして、1年生から6年生までを縦割りにして班を編成し、協力しあい ながら行動する協力班が設けられていました。 班ごとに班旗も作り、上級生を班長にし、班長は下級生を いたわり、下級生は班長を信頼し、兄弟姉妹のような ぬくもりのある集団でした。 |
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