加茂の山の神
 山の神は、山林所有者や山で働く人たちにとって最も崇められた存在だった。人々は、山林の守護と山で働く人たちの無事息災を祈念して山の神に祈り、また無事仕事が終了すると、感謝の報告を告げるのも山の神であった。山の神のお祭りは、旧正月9日、5月9日、9月9日に行われていた。山の神の祭礼日には、山仕事は一切しない風習となっており、各家庭では、おすし等を作って神棚にお祀りをしていた。
【主谷の山の神】
 この山の神は、主谷道(川来須から基安へ登る道)の道端のケヤキの木の元に祀られていたが、台風で根石が洗われ、また道路の改修工事のため現在地の杉林の中に移された。
 その後、新寒風山トンネルの工事が始まり、山の神の上にはトンネルへ通じる国道が開設された。
 新たに開設された国道の下には、主谷と桂谷の合流地点へ行く道ができたが、その道端に鳥居があり山の神へと続く石段を40〜50段上ると山の神の祠がある。
 今でも訪れる人がいるのかお神酒が祀られ、きれいに掃除がされている。

【犬人三神】
 主谷を奥へ進み桂谷を渡り、山苔の自生する杉木立の中の道を登ると山中に立派な祠がある。
 昔、土佐からクマ狩りにやって来た河村甚三という猟師と主人のために命がけでクマと戦った愛犬の黒と白の霊を「犬人三神」として祀ったもの。それ以来、主谷で白と黒の犬を見たときは、仕事を中止して急いで帰らないと不幸な事故をおこすと伝えられている。
 祠には、立派な千羽鶴が祀られていて、祠の中には犬の置物が置かれている。
 →「犬人三神」の伝説はこちら

【下分の山の神】
 昔、山の神の祠のところには大きなケヤキの木があったと云われている。「山の神の木を切るとたたりがある。」という言い伝えが残っていたが、戦時中に「食糧増産」「作物優先」で切り倒されたという。
 現在の山の神の祠は、昭和30年に荒川下分の大工によって建立されたが、竹藪の中のあるせいが同時期に建てられた拝殿は昭和50年頃には屋根が傷んで使用不能となり、今では跡形もなくなっている。
 昭和45年頃までは、下分の人たちが折詰をもってこの拝殿に集まり、酒を酌み交わしながら山への感謝と交流を深めたものである。過疎化の波は山の神へも押し寄せている。
【姫宮の山の神】
 姫宮とは、荒川下分から李へ向かうかつての土佐街道を進み、李峠の手前のあたりをいう。明治10年、この地に寺子屋式の有隣学校が開校し、荒川山の文化の発祥の地であった。
 ここに欅の大木があり、その横の大岩のところに瓦の小さい祠が祀られていた。その欅もずいぶん前に寿命を終えて朽ちてしまっているという。現在この場所は、木々に埋もれ訪れる人もほとんどない。山の神の祠を見つけるべく付近を探索したが見つけることはできなかった。(昭和56年には加茂公民館が山の神の祠を紹介している。)今回は付近の物証から推測した場所を左に紹介する。
【笠森さん】
 八之川添谷橋のところから登り、明見神社を越え集落の一番上から山中に入った谷奥にある山の神。奥深い山中にひっそりと祀られている。
 昔は、紅葉の大木のかたわらに祀られいたが、その後小さな祠が作られ、その中には「笠森神社」のお札とお供え物が置かれていた。今ではその祠も壊れて、祠跡に小さなかわいらしい祠が祀られている。
 笠森さんのあるすぐ下に「たけなる」といわれる平地がある。ここには民家があってこの地で生活を営んでいたらしいが、今ではその形跡はなく、この地で人々の生活の営みがあったことが信じがたい。

【竹ケ平の山の神】
 笠森さんから東へカラ谷をへて、ヒゾロ谷を渡ると山の神の小さな祠がある。
 山の神は、ヒゾロ谷にある大きな岩の下祀られている。
 付近には樹齢200年を超す杉の大木が何本もあり、山の神さまを取り囲み、霊験あらたかな雰囲気がただよっている。
 徒歩で行くしかどうしようもないところにあるが、昔はこのあたりも人の往来が少なからずあったのではないかと思われる。
 今でも山仕事に行く人がこの山の神を訪れるのかお神酒が祀られていた。

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