加茂の棚田の今・昔
千町・下津池風透地区の棚田の変遷

 加茂地区には、千町(せんじょう)・下津池(しもついけ)・風透(かざすき)地区に棚田があります。
 中でも千町地区の棚田は、戦国時代伊藤近江守祐晴が土佐(高知県)からやってきて住み着いて以来、 近江守やその子孫が開拓に心血を注ぎつくりあげた石積みの段々式水田で、数え切れないほどの水田がある という意味で
「東予の千枚田」として知られていました。
 しかし、近年の過疎化・高齢化による後継者不足により徐々に休耕田が増え、かつて
60haで2,500枚以上の棚田があったと言われていましたが、現在では耕作農家は数軒に減り、棚田の耕作面積も1ha以下になり、千町の棚田は崩壊の危機に瀕しています。
 近年の猿、猪、鹿による鳥獣被害も棚田の減少に拍車をかけています。
 このページでは、加茂地区の棚田の変遷を紹介したいと思います。

山の斜面に広がる一面の雪の棚田
天まで届かんばかりに耕された千町の棚田(昭和37年・冬)



千町の「誓願寺」にある句碑
 「千町(せんちょう)といわるるまでに耕して、住める村見ゆ谷のむこうに」
かつて、その棚田の美しさを歌に詠まれた千町地区です。

千町の棚田について
  千町の棚田の変遷
  棚田の石垣
  棚田と水
下津池・風透の棚田
棚田全景
 
千町の棚田と比べて、耕作放棄地が比較的少なかった下津池・風透地区ですが、近年耕作をしていない棚田が目立つようになってきました。

吉居林道から見た下津池・風透の棚田
昭和39年撮影
吉居林道から見た下津池・風透の棚田
平成24年撮影
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